2013年4月、「四国ジビエ連携(四G連)」を立ち上げた直後、某県観光課に挨拶に伺った。対応に出た課長が、名刺を見ながら「ジビエ? ジビエってなんですか?」と質問した。

土木課ではない。観光課の課長がである。

2014年6月、松山市で研修会を開いたとき、正統派洋食界の大御所が会場に訪ねて来られた。新聞の予告記事を見たと言い、案内の無かったことを暗にとがめられた。

恐れ多くも、フランス料理の高級食材にかかわる会合にお呼びがないとは一体何事だと言われているかのようだった。

突然のフランス語登場で話がややこしくなったが、洋の東西を問わず、大昔から狩猟鳥獣肉は美味で滋養に富んだ食材だった。

日本でいえば、宮中の饗宴でシカ肉ステーキ(焼いた石にカットした肉をおいた)は、この上ないご馳走だった。

ただ、地味ながら着実な流れを積み重ねてきたのは農民・庶民である。せっかくの捕獲獣を美味しく食べない手はない。山里のいたるところで工夫がなされてきた。

鋤を柄から外して土を洗い流し火にかけるとチリチリ焼ける。そこに川魚や持参した家畜の肉を置き、ひしお(醤)で調味して食べる。

各地にみられる「すき焼き」の起源であり、むろん丹波篠山も同様である。(ひしお=豆麦や魚介類を醗酵させた調味料)。

明治41年(1908年)に市内に新設された陸軍歩兵第70連隊の将校が、山岳訓練の際捕えたイノシシを味噌汁に入れて食べているのを見た市民によって味噌仕立ての鍋料理が考案された。

「ぼたん鍋」の誕生である。

名称のユニークさもあってたちまち有名になった。こんにち丹波篠山の「ぼたん鍋」は、「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれるほどのローカルジビエの代表となっている。

(2020年3月)