宮崎県椎葉村の伝統的狩猟と、秋田県のマタギの世界を続けて紹介した。(26号・27号)。日本にも立派な「ジビエ文化」のあることを確認したかっただけで、考えれば当たり前の話である。
問題は、このたびのブーム(?)が鳥獣害駆除に伴う「廃棄物処理」に発した点にある。「硬くてクサい」は後付け講釈である。
いっそう深刻なのは年間百万頭余のシカ・イノシシが奨励金と引き替えに虐殺されているという事実である。古参の猟師の言う「引き金を引いた瞬間から調理が始まる」以前の、「命の扱い」である。
「命」を意識してこそ調理に一心になれるし賞味感覚も前向きになる。「硬い」は「歯ごたえ」に、「クサい」は「風味」に変身する。いずれにせよ心の持ちようである。

赤ちゃん牛のときから一緒に育ったみいちゃんと食肉処理場の前で泣く泣く別れた10歳の女の子が、姿の変った料理を前に食べようとしないのを見たおじいちゃんに「ありがとうと言うて食べてやらなみいちゃんがかわいそかろう?食べてやんなっせ」と言われて、泣きながら「みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ」と言いながら食べる――内田美智子・他『いのちをいただく』(西日本新聞社)の終節の場面である。
可愛いがっていた動物の肉を口にしたときの感覚は、「自分の身体の一部になった(同化した)」というのに近いと、『わたし、解体はじめました』(木楽舎)で著者の畠山千春は述べている。

近くの寺社の一隅に、おそらく「鳥獣慰霊碑」があるはずだ。機会があれば拝し、文明開化を引きずったまま「自然の恵み」を軽んじてきたことを懺悔したい。
一つ付言すると、「ジビエ」というフランス語の力を借りているが、もともとあった「日本の田舎料理」でけっこう、ということだ。「シシ汁」だけでも各地に無数にある。

(2021年5月)