「用件はメールでお願いします」と言われることが何度もある。さして重要でない付き合いなら、いな、多少重要な相手であっても、「もはやこれまで」とすることにしている。
メールは「連絡」のツールとしては便利だが、根本的な欠陥は「こころ」が伝わらないことだ。ついでながら、直接会話では、言葉の遣(や)り取りの中に紛(まぎ)れ込んだ一片のセリフに重大な意味や情報を感じ取ることがたびたびある。
ところで、何かを目的に人々が集うとき、人びとの間に自然に連帯感や親近感が生れる。コミュニテイー(community)の成立である。「共同体」などと訳されるが、概念はもっと広い。
コミュニテイーが成立するための要件はコミュニケーション(communication)である。「心情や情報を共有するために行なう遣り取り」などと説明されるが、これも広い内容をもっている。
共通する「communi‐」はラテン語の「communis」に由来し、「分かち合う」とか「共有物」を意味しているという。
「共有する」感覚がなく、マイペースの「自己ちゅう」種族の支配する社会、すなはち、オンラインとかテレワークなどの語が往(ゆ)き交(か)う社会は資本主義の悪しき帰結であり、人間関係の断絶と同義である。自然に帰って冷静に考えみるのも一つの対応だ。
検討中の「ジビエラボ」は野性鳥獣に関心をもつ人たちの交流拠点であると同時に、広く自然に親しみをもつ人たちにとっても利用価値のある施設でありたいと思っている。コンセプトシェアハウスと呼ばれる、共通の趣味をもつ入居者をターゲットにしたモデルと、ルームシェアホテルの考えを組み合せて新たな概念を構築してみたい。
格差拡大や都市偏重といった資本主義社会の課題に、少しでもヒントが示せればこの上もない。
(2021年1月)