定年になったら農家の空き家でも借りて移住し、畑仕事の合間に、免許をとって狩猟を楽しむか・・・・。
しかしことはそう簡単ではない。最大の難関は、地元猟師との人間関係が築けるかである。手土産もって猟友会役員のところに挨拶に行くだけでは何の役にも立たない。数カ月ほど通いつめてどうにか心を開いてもらい、猟場や縄張りなどを伝授されるのが普通である。それまでの間、事実上身動きがとれない。
マナーも重要である。無作法なにわか猟師は、空(から)の薬莢(やっきょう)をその場に捨ててしまうし、撃ち落として深いヤブの中に見失ったカモははやばやと探すのを断念し、シカなどの解体を現場で行ったりする。マナー以前に、鳥獣が寄り付かなくなるのだ。
ライターで新聞記者でもある近藤康太郎氏の近著、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)は、自身、ヤブの中を這いずりまわり崖から転がり落ちたりして「体得」した猟師入門記である。アロハシャツ姿にツバ広のハットをかぶり、サングラスをかけた姿から漫談風のルポを想像させるが(じっさい大半はその調子だが)、哲学的・思想史的考察がさり気なく仕込まれており、孔子、マルクス、レヴィ=ストロース、大岡昇平などが頻繁に引用されている。そして、言わんとするところは、「末期症状を呈している資本主義との距離のとり方と人間関係の原点回帰」である。
はやい話が「贈与」の意味・意義の再吟味である。このことはしかし、想像以上に広がりをもつ。たとえば、「生きることは命をいただくこと」という教訓や、止め刺しを待つシカの瞳にじーんとくる感傷ともつらなるのである。
評者の持論は、地元の理解と協力を得た「ハンターハウス」をシェアし、ヴェテランの指導を受けながら山村に溶け込んでもらおう、というものである。
(2020年9月)