「エシカル・ジビエ (ethical gibier)」という言葉を知った。

直訳すれば「倫理的な狩猟(肉)」ということになろう。「倫理」はごく簡明に「まっとうな人間として守るべき行い」としておく。

ジビエ後進地の日本人として「エシカル・ジビエ」を考察してみたい。さっそく気づくのは、現代の日本において、「狩猟者」と「捕獲者」は別の存在であるということである。

両者の違いは獲物への向き合い方に表れる。狩猟者が「戴いた」と思うのに対して、捕獲者は「せしめた」とほくそ笑む。

狩猟者は「命」が念頭にあるのに対し、捕獲者は「ボデー」か「奨励金」しか考えない。狩猟者が必要以上に獲らないのに対し、捕獲者は獲れるだけ獲りまくる。

狩猟者は「鳥獣慰霊の祭祀」を行うが、捕獲者は余計なことはしない。―――このように対比すると、おのずと「エシカル」の意味が見えてくる。

「いただきます」という食前の挨拶は「命をいただく」に由来し、「ごちそうさま」と対をなすわが国独特の用語である。天与の恵みに対する感謝の念がにじみ出ている。

肝心の「料理」についてだが、目の前に置かれたジビエ食材に料理人たちは愛情と謙虚さと熱意をもって臨んでいるだろうか。厳しい自然の中で生きてきたジビエたちは個体一つ一つ性状が異なる。基本的に均質なウシやブタと同じ様に扱っていいはずがない。

情熱と研究心がなければジビエ料理の真価を引き出すことはできない。

ヨーロッパで評価の高い二ホンジカの繊細な味わいが日本で気づかれないのは「日本の料理人がヘタだからです」と辛辣に評したC・W・二コルさんの講話が思い出される。

最後に賞味者。ジビエ料理の世界に予断のない好奇心をもって参加し、変化や多様性に驚き、部位ごとの歯応えや風味を楽しむこと。・・・最終走者が心身ともに深い感動を覚えたときジビエの命は安らかに閉じる。

これが「エシカル」の核心と思う。(2019年5月)