山林~雑木・雑草~鳥獣、これらはすべて「共生関係」にある。原始自然のままであれば、おそらく100年ほどの周期でたがいに影響し合いながら増減を繰り返しつつ、結果としてすべてが生き延びてきたであろう。
ただ人間が農耕を始めたころから事情が変ってきた。不安定な気候に左右される山林とことなり、季節にしたがって作物の実る田畑は、シカやイノシシにとって格好の餌場となった。
いっぽう農民の側からすればとんでもない災害であり、耕作や除草と同様の対応をしなければならなかった。すなはち鍬(くわ)や鎌と同じ感覚で鉄砲を持たざるをえなかったのである。
天正16年(1588)に豊臣秀吉が敢行した「刀(武器)狩り」によって、徳川時代を通して農民は完全に武装解除されていたと思われがちだが大きな誤解である。一例をあげると、江戸中期の下野(しもつけ)國(のくに)(現栃木県)壬生(みぶ)藩内の鉄砲数に関し、武家に公認された80挺に対して、262挺の不法所持があったという。謀反の死罪を賭してまで銃を保持せざるをえなかったのは、シカやイノシシを捕えるためにほかならなかった。結果的に獣害はぎりぎり抑えられ、おまけに貴重なタンパク源を確保することができたのである。
留意すべきは、別に猟師という職業があったにもかかわらず、農民自身が命がけで農地を守りぬいたことである。
たびたび引き合いに出している島根県美郷(みさと)町(ちょう)の「自助努力」とその成果には、無意識のうちにその血脈が受け継がれているように思えてならない。
(2020年5月)